災難をのがるる妙法

テーマ:がん全般


江戸時代の禅僧「良寛」の辞世の句は「散るさくら 残るさくらも散るさくら」と伝えられています。そして亡くなる前日には、「かたみとて何かのこさむ春は花 やまほととぎす秋はば」と書いて、知人や友人に分け与えたといわれています。享年七十四歳でした。


当時の七十四歳は大変な長寿です。戦国時代の信長は「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり・・・」と舞っていますが、本能寺の変で四十九歳で非業の死を遂げていますし、同時代の上杉謙信も、信長との決戦を前にして四十八歳で病死しています。


当時の社会の支配層の平均寿命はほぼ五十歳位といわれています。そして発掘した骨で調べた一般の成人の寿命はそれより低く、ほぼ四十歳位といわれています。厚生省の国民統計表によると、日本国民の平均寿命が五十歳に達したのは、戦後の昭和二十二年といわれています。良寛は当時としては大変な長寿者であったのです。


寿命に関する興味ある研究があります。奈良時代の天皇や有力貴族の記録が保存されて残っていますが、それによると、これらの支配層の人々の平均寿命もやはり五十歳位といわれています。ところが、同様に記録に残っている奈良時代の高僧の平均寿命は、なんと七十歳代の後半であったといいます。


悟りを開いた人に長寿者が多いことは歴史の示すところです。当時の修行者の悟りは、ただ単に宗教上の心の問題であるだけではなく長寿につながる道でもあったのです。高僧たちの行なっていた悟りを開くための厳しい修行が寿命を延ばしていたと考えられます。良寛が長寿であったことも単なる偶然ではなかったのです。


江戸時代の儒学者貝原益軒は、著書『養生訓』で老子の言葉を紹介し、「人の命は我にあり、天にあらず」と言って不摂生で短命になることを戒めています。つまり、長命か短命かは自分の責任であって、それは我々の心しだいであると言っています。そして長生きするためには心気を養うことが大切であると説いています。心を穏やかにし、怒りと欲を抑制し、憂いや心配を少なくして、心を苦しめず、気を痛めないことが心気を養う上で肝要であると言っています。それは良寛が修行の末に到達した姿でもあります。


良寛は人々に「マリつき法師」と呼ばれていますが、それは、「かすみ立つ永き春日を子供らと 手毬つきつつ今日も暮らしつ」と、良寛自身が子供らとマリつきをしたことを歌に詠むほどであったからでありましょう。


良寛が子供たちと遊んで暮らした越後の冬は長く厳しいものです。それだけに雪解けの春は待ち遠しく、春になって子供たちとまた一緒に遊べる喜びに純粋にひたる良寛の振る舞いは、多くの人々の心を捉えてきました。


その良寛の晩年、新潟は三条で大地震が発生したときのことです。良寛は懇意にしていた知人に自分の無事を伝えることばとともに、次のような文面の手紙を書き送っています。それは、「災難にあう時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」とあります。


何ともすごいことばではありませんか。誰もが災厄から逃れたいと思うばかりであるのに、良寛はずばりこのように述べていたのです。「災難に逢ったら、その災難から逃げ出すのでなくそれを受け入れなさい。そして、死ぬときが来たら現実から目をそむけずに潔く覚悟しなさい。それが災難や死を乗り越える最上の方法なのです」と。


良寛は禅寺での十数年の修行の後に日本の各地を行脚して、諸国の禅匠を訪ね、問答を重ねて心境を練っていますが、そこから「死ぬ時節には死ぬがよい」という思いもかけないことばが発せられたのです。良寛のこのように自分に対する厳しいことばと、子供たちにみせたあの優しい心との二面性は、良寛自身の厳しい修行がもたらしたもので、それはひとえに良寛が本格の禅僧であったからです。良寛が長寿であったことの原点はここにあったのです。


私は良寛の手紙にある「災難」を「がん」と置き換えて読み直してみました。なぜならば、がんは私たちの身に降りかかった大きな災難であり、その災難を乗り越える妙法が、この手紙の中にあるように思えてならないからです。がんの病魔から逃げようともがけばもがくほど、がんの術中にはまります。がんから逃れることは出来ません。そのがんを乗り越えるためには、まず初めに、そのがんを受け入れることから始めることが大切であることを、この手紙は私たちに教えてくれていたのです。

| 良寛の心ががんを治す | 00:56 | comments(1) | - | pookmark |
プラス思考が好ましい遺伝子を目覚めさせる

テーマ:がん全般


良寛三十九歳のときです、良寛は長い諸国行脚の後に故郷の越後出雲崎にと現われています。そして村人に笑われても、をしながらも一生故郷を離れることはありませんでした。詩を書き、歌を詠み、子供たちと遊びながら生涯この地ですごしています。


良寛は毎日に出ていますが、それは、釈迦と一体になる行を乞食の行に求めたからです。たしかに出家した釈迦は一生住むべき家をもたず、乞食をして辛うじて飢えをしのいだといわれています。良寛の托鉢は、釈迦が毎日行なっていた乞食の行を自分もすることで、釈迦と一体化しようとした良寛の修行であったのです。その托鉢をしているとき次のような逸話が伝えられています。


良寛さんが渡し舟に乗って川を渡っているとき、川の真ん中で船頭がいたずら心を起こし舟をグラグラとゆらしました。良寛さんはいつどんなときでも「けっこう、けっこう」とニコニコしているだけで、決して怒ることがありません。そこで船頭はわざとひどいことをして怒らしてやろうとしたのです。


船頭が舟をゆらしたせいで、良寛さんはバランスを失い川に落ちてしまいました。ずぶ濡れどころか良寛さんは泳ぎがまったく出来ません。たちまち溺れてしまいました。そのままでは死んでしまいそうです。船頭もびっくりして、バタバタする良寛さんを舟に助け上げました。


もとは船頭にわざと落とされたのですから、いくらお人好しの良寛さんでも少しは怒りそうなものです。ところが良寛さんは頭をペコペコさせて、「いやあ、ありがとう、ありがとう、お前さんが助けてくれなきゃ私は死ぬところだったよ。お前さんは命の恩人じゃ」。これには船頭もあきれ果ててしまいました。


それにしても川に落とされながら、落とした張本人にお礼をいう良寛さんの態度をどのように理解したらいいのでしょうか。いかに良寛さんがぼんやりしていたとしても、自分がどうして川に落ちたかはわかるはずです。ふつうの人ならおおいに怒るところですが、良寛さんは船頭の悪い面には目もくれず、いい面ばかりを見て、怒るというマイナス思考には見向きもしていません。自分を助けてくれたことだけを見て感謝するという極端なプラス思考です。このプラス思考が、今まで不可能と思われていたことを可能にするというのです。


世界的に有名な遺伝学者で、筑波大学名誉教授の村上和雄さんは、御著書『のバカ』でこの良寛のプラス思考について次のように述べています。


「この岩をも貫くようなプラス思考の一念は、今まで眠っていた遺伝子を目覚めさせる。そして、その遺伝子が作動することで、それまで不可能であったことが可能になる」といいます。「その不可能と思われていたことの中には、がんを治す遺伝子も含まれている。そして、この強力なプラス思考が、今まで眠っていたがんを治す遺伝子を目覚めさせて起動させ、進行したがんであってもがんで死なないようにするばかりか、がんの自然治癒さえも起こし得る」というのです。何とも頼もしい限りです。

| 良寛の心ががんを治す | 04:39 | comments(0) | - | pookmark |
好ましい心ががんを治す
JUGEMテーマ:がん全般

遺伝子には、常に作動していて同じ働きを続けている遺伝子もあれば眠っている遺伝子もあるといいます。何かのきっかけでそれまで眠っていた遺伝子が急に目を覚まし、にわかに活動を開始することがある一方で、反対に、それまで活動していた遺伝子があるとき突然に休眠してしまうこともあるといいます。


現にがん細胞は、今まで正常であった細胞が、突然変異で悪性細胞のがんに変身したものです。それは、正常細胞の中で眠っていた無限に増殖するという遺伝子が、突然目を覚まして活動を開始したためにがんは発生していたのです。そして同じように、今まで眠っていたがんを治す遺伝子も突然に目を覚まして活動を開始し、がんがおとなしくなることもあるというのです。


がん細胞は暴れ方がひどく、体の中では傍若無人に自分勝手に振る舞い、人に危害を加えることばかりしている様ですが、それでも完全に野放しになっているわけではありません。がん細胞といえども周囲の細胞の影響を受け、他の細胞によって管理されています。


実は、がんの発生や増殖を封じ込めることを仕事とするがん担当の細胞は、太古の昔から実際に存在していました。その細胞が全ての生物をがんから守ってきたのです。それは、その当時存在していた唯一のリンパ球であるNK細胞ですが、そのNK細胞の中にがんを治す力が備わっていたのです。そのNK細胞が働いてくれていたお陰で、生物は死滅することなく進化し現在の私たちがあるのです。そしてその細胞は今現在でも私たちをがんから守っていたのです。


そのNK細胞が眠ってしまって活動を中止したり、またNK細胞の働きが弱ってしまったためにがんは発生しました。しかも最後には、そのがんが勝手に暴れ出し、私たちは命まで脅かされてしまったのです。


丸山ワクチンでがんが消えたとか、キノコを食べたらがんが小さくなったとか、または漢方薬でがんが良くなったなどの話はよく聞きますが、それは、これらの物質の成分ががんを直接攻撃したのではありません。これらの物質の働きで、今まで眠っていたがん担当のNK細胞が目を覚ましたためです。働きの弱っていたNK細胞が再び活動を開始したためです。がんを抑えることの出来る細胞の遺伝子が、ワクチンやキノコ、または漢方薬の成分で活動を開始したためなのです。


しかもそのNK細胞は、心のもちかた、つまり、心が好ましい状態に置かれると、そのことだけでも今まで眠っていた遺伝子の眠りを覚ますことが出来るといいます。そればかりか、プラス思考が好ましい遺伝子のスイッチをONにして、その遺伝子の活動を開始させることも出来るといいます。そしてその好ましい遺伝子の中には、NK細胞のようにがんを治す遺伝子も含まれているというのです。それどころかそこには、がん以外のいろいろな病気を治す遺伝子や命を延ばす遺伝子さえも入っているというのです。


実際に医療の現場では、がんに負けないという気持ちを持ち、常に前向きに事に当たる人ががんを克服し、初めからがんで絶望してしまった人との間に大きな生存率の差のあることはよく知られています。たとえがんにかかったとしても、「私は治るんだ」と思っている人と、「もうダメだ」と思ってしまっている人とでは、がん細胞の増殖速度にまで大きな違いが出来ていたのです。


そして最近では、特に「笑い」の効用が注目され、病院の中に落語の高座まで設けて、笑う落語を毎日聞かせる所もあるくらいです。笑いはNK細胞を活性化させます。それに加えてリズムカルな運動が、NK細胞を活性化させるために非常に有効であることがわかってきました。心が快適になるようなリズム体操、呼吸といわれるような腹式呼吸、無念無想の座禅など、これらを長く続けることで心は高揚してうきうきします。それはNK細胞を活性化させる大きな力でもあったのです。奈良時代の高僧が長寿であった理由の一つはここにあったのです。


人の体を調節する神経と免疫とには密接な関係がありました。そしてその免疫を活性化させるためには、心を豊かにし、常に前向きの気持ちになっていることが大切であったのです。


良寛の言う「災難をのがれる妙法」とは、まず初めに、自分に降りかかった災難であるがんをあるがままに受け入れることであったのです。そうすることで初めて、がんからのストレスを受け流すことが出来るようになります。それが好ましい遺伝子を作動させ、不可能を可能にする第一歩であったのです。


昔の人は病気平癒を願って神仏に熱心に祈願しました。祈ることで神仏のご加護が必ずあり、自分の病気は必ず治ると信じていました。しかも祈ることで、神や仏が治ることを約束してくれたと固く信じていたのです。そして心配は消え心が平安になります。昔の人の祈りはそれ自体が治療であり、そのために免疫細胞は活性化し、祈りで実際に病気が治っていたのです。「念ずれば通ず」という言葉があるように、当時の祈りは現実の治療でもあったのです。


がんが進んでしまって、現代医学をもってしても打つ手がないなどといわれても、まだまだ方法はあったのです。

| 良寛の心ががんを治す | 04:44 | comments(0) | - | pookmark |
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免疫治療専門医 中嶋靖児
中嶋靖児 著

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