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「生きたい」と思う気持ちががんの特効薬
JUGEMテーマ:がん全般

ある日のことです。四三歳の婦人が地方の県立ガンセンターから紹介されて来ました。


病気の程度は進んでいて、転移した癌のために左右の首は大きく腫れ、首がほとんど回らない状態でした。県立ガンセンターでは余命三ヶ月と宣告され、本人には好きなことをさせるようにと家族は言われていました。そしてホスピスに入ることまですすめられていたのです。


その患者の夫は、重大な決意をもってその旨を本人に話したようです。しかし「母は強し」です。二人の子供のいるその婦人は、私の診察室に入ってくるなり「先生、何とかしてください、何でもしますから助けて」と言います。私はその勢いに圧倒され、一瞬言葉を失うほどでした。しかしその真剣な叫びは、母親が子供を思って、「この命は自分だけの命ではないのだ」と心の底から訴えているようでした。


その患者が最初に来院したのは、早春のぽかぽかとした日差しのやわらかい日でした。本人から今までの治療の経過を詳しくうかがった後に、私は本人のつらい思いを少しでも和らげてあげようと思って、癌とはまったく関係のない話にわざと話題を変えてみたのです。それは、早春の野の花の黄色い「山吹の花」についてでした。ところがどうでしょう、彼女はしばらくの間、私が語る山吹の花の話の一語一語にうなずいて聞いてはいましたが、最後に私に向かって、その山吹の花の黄色い色が思い浮かばないと言うではありませんか。色そのものを思い出せないと言うのです。彼女の心の中では、すべてのものが白黒だけのモノトーンの世界になってしまっていたのです。


「命がない」と言われたことの衝撃はこれほどまでに強いものなのでしょう。鮮やかな花の色さえも心の中に思い描くことが出来なくなっていたのです。


私はこのことを本人から告げられたときに、言葉も出ないほどの大きな衝撃をうけました。それでも本人の話は一語一語しっかりとしていて、その言葉の端々には「どうしても生き延びなければならない」という思いがひしひしと感じられます。私はその姿に感動し、そのとき「この婦人を何としても助けなければ」という思いを一層強くしたのでした。


私はまだ、われわれが行なっているがんの免疫治療について何も説明していませんでしたが、実は進行がんの患者に対しては、健康な若い人の血液から取り出したリンパ球を使った免疫治療を行なっています。それは、健康で若い人のリンパ球を、患者の静脈に点滴で注射するという治療法ですが、そうしますと、患者の体内にいろいろな変化が起こり、がんが縮小したり、がんの転移が抑制されたりすることを確認しています。それと同時に、がん細胞の放射線感受性が増加し、がんは放射線に敏感になることも経験的に確認しています。


その婦人の患者は、転移した癌のために、首がほとんど回りません。前を向いたままです。まず首を動くようにすることが急がれます。幸い、当時私が勤務していた東京の病院には、放射線治療を専門とする、高名な元大学教授が大学を退官されて勤められていました。早速相談しました。ところが「腺癌には放射線はあまり効きませんよ」というご返事でした。その婦人の肺癌のタイプはその腺癌であったのです。


私は、照射の前にリンパ球を注射しておくと、がん細胞は放射線に対する感受性が増加することを先生にご説明して、再度お願いしたところ、「それでは」ということで照射を引き受けてくださいました。その際、「放射線照射のために首がさらに腫れて気管が圧迫され、呼吸困難になる恐れがあるので、その点を患者やご主人に説明しておくように」というご指示があり、そのことを説明した上で照射は開始されました。それほどまでに、その婦人の両方の首は、転移した癌で大きく腫れていたのです。もちろん窒息の危険が考えられますので、はじめは入院して治療を行ないました。


ところがどうでしょう、リンパ球の注射をしながら一連の照射を続けている内に、その婦人は呼吸困難になるどころか、首の腫れは次第に取れてきたではありませんか。それに伴って、首もだんだん動くようになり、しまいには首も普通に回るようになってきたのです。そして、外からは殆どわからない程に改善したのです。


本人は大変喜びました。表情も日増しに明るくなり、毎日の動作がにわかに積極的になってきました。そしてしばらくして、「通学している子供の食事を作りたいから通院でもよいか」と言うではありませんか。もちろんOKです。


患者は自宅に戻り、夫や子供の面倒を見ながら、今まで自分でやろうと思っていたいろいろな治療法を開始したようです。食事療法は勿論のこと、漢方薬の服用やキノコ療法、それに中国式の気功なども始めたと言います。その上、PTAの会合にまで出席し、地域での社会参加も積極的に行なったと言います。患者は来院のたびごとに、日常の生活上の出来事をこまごまと話してくれます。本人にとっては、一日一日が新鮮で貴重であったに違いありません。日がたつにつれて本人はますます明るくなっていきました。


次の年の春のことです。朝の一番の診察に、本人がうれしそうに入ってきました。その手には、一抱えもする程の山吹の花を携えているではありませんか。「先生、本当は私はこの山吹の花が大好きなのです」と。それは、私の好きな一重の黄金色した山吹の花であったのです。

| 医者が「治す気」になるとき | 05:30 | comments(0) | - | pookmark |
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免疫治療専門医 中嶋靖児
中嶋靖児 著

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