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「二度無し病」を人の手で作る
JUGEMテーマ:がん全般

人々の歴史は疫病との闘いでした。この闘いを勝ち抜いた人だけが生き延び現在に至っています。したがって疫病から免れるという免疫の果たす役割は非常に重要でした。現代免疫学は、疫病である伝染病からいかにして免れることができるかという研究から始まりました。そしてその延長線上にがんの免疫もあったのです。がんの免疫に入る前に、まず初めに伝染病の予防で大きな力を発揮した伝染病の免疫について見てみることに致します。


「白河の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、・・・・・」は、おなじみ松尾芭蕉の『奥の細道』の一節ですが、ここに登場する道祖神は別名をとも呼ばれ、疫病が村に侵入するのをぐ神と言われています。道祖神は村のはずれの辻々にられ村人を伝染病の脅威から守っていました。


実際に、村人が長旅から帰ってきたときには、旅人は村の入口の道祖神の祀ってあるところで体を清め、衣服を着替えて村に入ったと伝えられています。その場所は村人の集まる所で、現在でも正月十四日には、そこで道祖神は「ドンド焼き」として祀られ、正月の楽しい行事の一つになっています。


道祖神について民族学者柳田国男氏は『問答』の中で次のように述べています。「行路の辻などに此神をるは往来の安全を計ると云う能動の神徳を仰ぐにはあらで、邪悪神の侵入を防止せんとする受動的なるべく候」と。


道祖神は、村に侵入する邪悪神すなわち疫病神の侵入を塞ぐ神だと言っています。村の中心には「の」と言って、その土地を守る鎮守の神のがあって、はずれのほうの村の入口には、村人を伝染病から守る「道祖神」が祀られてありました。神々の世界も分業で、神様にもご自分の専門分野がおありのようです。それはともあれ、当時の人々は村に伝染病が入ることを大変恐れていました。


「あばたもえくぼ」の「あばた」はインドのからきているといわれています。「あばた」を漢字で「痘痕」と書きますが、天然痘の傷あとのことです。天然痘は「」ともいわれ、恐ろしいウィルス性の伝染病です。感染するとを持った発疹が全身にできて高熱が続きます。当時は子供たちの多くが天然痘で死亡したために、人々に大変恐れられていました。無事治ったとしても、顔をはじめ体のいたるところにその傷あとの「あばた」が残ります。そのことで天然痘にかかったことがすぐわかります。


ところが天然痘は、一旦はかかったとしても、そのとき死なずに無事生き延びることができると、二度と同じ病気にはかからないということを、当時から人々はよく知っていました。天然痘は「二度無し病」です。


免疫学の研究はこの「二度無し病」の解明から始まりました。ジェンナーの種痘は有名ですが、牛の乳しぼりをしている女性は決して天然痘にかかることはありません。だれ一人として顔にあばたのある人はいないのです。ところが乳しぼりをしている女性は、牛の天然痘にかかるせいで、みな腕に化膿した傷あとがあります。人には害のない牛の天然痘にかかっていると恐ろしい人の天然痘にはかからずにすむのでした。このことに気づいたのがジェンナーです。ジェンナーは人に牛の天然痘のを植えつけたのです。


これが種痘の始まりです。あれほど人々に恐れられ多くの死人の出た天然痘は、この種痘によって征服され、今ではWHOにより天然痘終息宣言が出されるまでに至り、この世界から天然痘という病気そのものが消えてしまいました。こうして天然痘は過去の病気となったのです。


英国西部の酪農地帯で医院を開業していたジェンナーは、一七九六年五月十四日、村の八歳の少年フィリップスの腕に、牛の天然痘の膿である牛痘を接種し、人の天然痘にはかからなくなるのを確かめました。ジェンナーはその後、自分の次男にも接種しましたが、伝記の誤訳から「最初にわが子に試みた」という俗説が広く日本で流布してしまいました。


ジェンナーの予言通り、天然痘の根絶は一九八〇年には実現し、今では種痘そのものも必要がなくなりました。そしてこの種痘による天然痘予防法は、江戸時代には日本にも伝えられ多くの命が救われていたのです。

| 免疫学は現代の道祖神 | 14:21 | comments(0) | - | pookmark |
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免疫治療専門医 中嶋靖児
中嶋靖児 著

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